工場の知恵と新たな価値を届ける
とみおかクリーニンググループ
街中で見かけるクリーニング屋さん。その数は年々減少しているそうです。それもそのはず、安価な服やマシーンウォッシャブルの服など、“クリーニング店に出す必要がない服”が今では多く出回っているからです。
ただ、クリーニング店として継続していくのが難しくとも、お洗濯のプロとして長年培ってきた技や目利きを活かす術は残っています。とみおかクリーニングは、「プロが考える洗濯ライフ」をコンセプトに新しい価値を生み出しているクリーニング店の一つです。
今回は、クリーニング工場・工場長の藤井さんとEC担当の小石川さんにお話をうかがいました。
人と環境に優しいクリーニングを酪農の町から届ける。
―創業当時はどのようなものを取り扱っていたのでしょうか? 【小石川】現在の社長が富岡裕喜で3代目に当たるんですけども、初代が戦後間もない、まだ着物が日常的に着られている頃の着物の洗い張りが原点にあったみたいです。今でもWebなどで着物のクリーニングをやっています。
―クリーニング工場のある中標津(なかしべつ)町の特徴を教えてください。 【藤井】中標津町は人口としては2万4千人ほどの町です。中標津町にはとにかく多いんですよ、田んぼが(笑)牛が約5万頭いるので、人口よりも多くて…。あと(中標津町と同郡内の)標津町は海と漁港の街なので、シャケ、いくら、羅臼昆布なんかが有名です。
―クリーニング工場の1番の自慢の技術は何ですか? 【藤井】とみおかクリーニングでこだわっている点は、体に優しいという面で純石鹸EM菌配合の洗剤やコーンスターチというとうもろこしからできた自然素材が配合された粉を使っています。また、洗浄力をよくするためにナノテック水という超音波の水や温水を使用しています。
―クリーニング工場を続けていく中で、理想と現実のギャップがありましたら教えてください。 【藤井】品質と生産性のバランス。どうしても早く仕上げすると品質が落ちてしまうとかあるんですが、そこをいかに落とさないようにやっていくかという所が1番難しいところだと思います。機械で仕上げてるんですが、機械も可能な限りメンテナンスして、生産性を落とさないように気にかけています。
工場で眠っていた逸材
―製品ブランド<とみおかクリーニング>を始められたきっかけは? 【小石川】中標津町にある弊社の象徴的な店舗に当たる東武店が2007,8年ごろ改装して、町内の雑誌に取り上げられたんですよね。こんな田舎に可愛いクリーニング屋さんがあったんだ!って。3代目が引き継ぐ際には、もうクリーニング業はなかなか売上的にも減少していたので、雑貨店も入れた併設店舗をリニューアルのタイミングで作りました。
―当初から、ミルク缶入り洗剤を象徴的な商品として販売されていたのですか? 【小石川】実は、物販の第1号はワイヤーバスケットでした。しかし、メーカーさんからの仕入れ品ですぐ欠品したりで思うように販売ができませんでした。そこで、自分たちで作った方が早いと考え、輸入という形でまずは商品開発を始めました。雑貨の売れ行きが好調の中、旭川に可愛い店舗を出しませんか?とのお声かけがありました。そのタイミングで目玉商品になるもの作ろうと企画されたのが、酪農の町・中標津町に因んだミルク缶の洗剤です。
―はじめは洗剤以外の物からスタートしたんですね。 現在一番人気のミルク缶の粉洗剤は、元々人や環境に優しい洗剤として売り出していたのですか? 【小石川】元々、健康オタクの2代目の影響で人や環境にやさしい洗剤を工場で使っていたのですが、当初はそんなに気に留めていませんでした。ブランディングをしていく中でお客様にお売りできるものを作らなきゃという時に、工場でこんなにいい洗剤を使っているじゃないか!と発見。それを商品化しましょうとなりました。白い粉だけだと売れないので、良さを伝えるだけではなくてミルク缶に入れることで可愛いさを加えて商品化。元々、衣類や環境にも優しく、しっかりと汚れも落としてくれてバランスが良い洗剤だったのでうまく商品化できました。
―クリーニング工場を継続させていくために挑戦していることはありますか? 【藤井】ミルク缶の洗剤にもあるようにエコであったり、体に優しい洗剤を使用して、他とは差別化するような付加価値をつけてクリーニングしています。あと個々の技術の向上としては、シミ抜きが1番大事だと感じるので、シミ抜きのレベルアップに力を入れています。
―最後に、今後の展望について教えてください。 【藤井】工場の方もの年齢層も高くなってきているので、人を育てていくことが大事なことなのかなと思いますね。この先会社を継続させていくためにも、新しい人材を育成していくことが会社にとって財産になると思っています。 【小石川】私は会社として存続させると言う意味でも、クリーニング業って古い業種だと思うんですけど、その中でも可愛い雑貨を開発するのは異色な存在だと思います。逆にそこを利用して常に新しいことを始める存在になっていきたい。そういう会社にブランデイングする仕事が私のやるところだと思い、進めています。