晴れの国から生まれた優しいものづくり。
株式会社石田製帽
優しく頬をさする暖かな潮風、明るく照らす陽の光に包まれた地で、人の心に寄り添い、優しい職人の手の温もりを感じる特別なストローハットが生まれました。
今回のインタビュイー・石田さんが『愛すべき場所』と言う笠岡は瀬戸内海に面した、穏やかな気候の土地にあります。そんな土地で明治時代からものづくりを続ける、株式会社石田製帽の石田さんにお話をうかがってきました。
ー何年創業ですか?
【石田】明治30年に工場が立ちました。そして、平成4年に石田製帽という株式会社にしました。当初は岡山が麦わらの材料の産地だったので、麦稈真田(ばっかんさなだ)と呼ばれる麦わらを編んだものなどを流通させるお仕事をしていました。
ー工場のある笠岡市の産地の特徴は?
【石田】岡山は「晴れの国おかやま」と呼ばれるほど晴の日が多く、乾燥した地域です。そういった気候風土が麦わらの生産に向いているため、地場産業として育まれました。
ー帽子メーカー「石田製帽」へはどういった経緯で移行しましたか?
【石田】1970年代に大冷夏で農作業用の麦わら帽子が売れなかった年があって、その時にファッション系の帽子をしようという話になりました。それまで製造卸でしていた事業を、パナマ帽子(縫製なしで編んだ帽子)を中心に製造し、自分たちで販売も始めました。その後、自分も勤め先を辞めて営業として家業のこの会社に入りました。
ー工場として挑戦していることはありますか?
【石田】2つのことがあって、一つは売上を上げていくこと。コロナで、本当に利益の面では痛い目に遭いました。帽子は嗜好品なのでうちのでなくてもいいものですが、そんな中でもうちが作ったものを選んでくださる方もやっぱりいて、自分たちの帽子に求められていることを再認識できました。
そして、もう一つは製造するための人を育てることです。うちの強みは、自分の兄弟3人が日本でもトップクラスの手で帽子作りをできることです。それぞれが応用が利くので、作る中で新しい製品が生まれたりもします。ものづくりは“手”作りなので感覚的なものが多いです。それってどうしてもリレーできない。人によって理解度も、手で表現するのも差が出てきてしまう。今は兄弟でしているのでそれが同じレベルでできるんですが、上手く言語化して、繋げていく必要があると感じています。
ー麦わらやラフィア、様々な素材を使われていますが、どういった工程で作られていますか?
【石田】ひも状のブレードで作られるものと、パナマ帽のように帽体で作られるもの2種類があります。前者は、平編みのブレードをミシンで縫製して形を作るので、石田製帽として一番売りにしている縫製の技術が使われます。後者は型押しの技術が重要となります。どちらも最終工程では、蒸気で蒸し上げてから金型や木型に型押しして、癖付けをする型押しの工程を挟みます。それぞれ植物の特性を生かして、仕上げの方法を変えています。
上に積み重ねられたものがブレードを縫製して形作った帽子。下がパナマ帽。
工場のあちこちに様々な素材が保管されています。
ーやはり〈石田製帽〉ならではの技術は縫製技術なんでしょうか?
【石田】縫製技術がやっぱり一番のポイントになるのですが、糸の調整をちょっと柔らかめにすることでストレッチがかかるようにしています。糸を締めた方が形は作りやすいのですが、被り心地を重視しているのであえて糸をゆるめに縫っています。
ー糸をゆるくすると、型崩れしやすそうな感じもしますが、そことのバランスはどうされていますか?
【石田】確かにそうなんですが、縫製が丁寧にされると型崩れも起こしにくくなります。石田製帽には、ほぼほぼ忠実に縫製する技術があるのでそこが大きな強みです。
ーモノづくりを続けてきて、喜びを感じることは?
【石田】結構僕も全国周ってるんで、いろんな場所で買い支えてくださる方がいらっしゃるんですよ。催事をすると朝一に買いに来てくれる方があちこちにいて、そういう方が10年くらいして「もう大丈夫よね」みたいに言ってくれたこともありました。こうやってコンスタンスに続けてこれるのは本当にお客さんに買い支えてもらっていると感じますし、すごく誇りに思います。
ー石田さんにとってものづくりとは? 【石田】大好きな仕事ですよね。僕は、一時期寝ても覚めてもサンプルばっかやってる時があったくらいです。作品作りじゃないので、僕が製品っていう呼び方のが好きなんですけど、お客さんに喜んでもらうためにしています。
ー最後に今後の展望を教えてください。
【石田】国産でちゃんとやりたいなと。地元の就職先として長く、10年後も残っていってほしいと思います。そのためには会社の利益だけでなく、働く人の利益やモチベーションが両方持てることが大事だと考えています。
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帽子から感じる温もりはこの土地の気候だけでなく、穏やかな地元の方々によって丁寧に作られているからこそ。そう感じることができる取材でした。