【梶原加奈子の想いごと対談】
「HAAG」片山英尚さんと語り合う
至高の柔らかさにこだわり続ける背景

「HAAG」ブランド運営会社 株式会社スマイルコットン代表取締役の片山英尚さん ×「CRAHUG」ディレクター梶原加奈子の対談

株式会社スマイルコットン代表取締役の片山英尚さん
「CRAHUG」ディレクター梶原加奈子

三重県北部から発信する「HAAG」の大切にしている “ひと・もの・こと” を通して、受け継いできたモノづくりの眼差しやファクトリーブランドとしての成長、そして新商品のこれからを語り合いたいと思います。

―スマイルコットンの誕生と成長―

梶原:初めてHAAGの商品に触れたとき、懐かしい感覚が蘇りました。昔から触っていたぬいぐるみのような、握りしめていたタオルのような、何か、肩の力が抜けるときに感じる馴染む意識に近い特徴がありますね。「スマイルコットン」という生地の名前を聞いた時、笑顔に導いていくような幸福感が溢れる言葉だと思いました。

片山(敬称略):このコットンを1度着たら、戻れなくなる。とお客様から言われたことがあります。自分にとっても長年触れてきた糸や生地であり、この心地良い風合いをもっと沢山の人に届けていきたいと思って追求し続けてきました。

梶原:この独特な柔らかい風合いの特徴はどんな風に作られているのでしょうか?

片山:糸というのは、わたの繊維を「撚る(よる)」ことによって作られます。スマイルコットンは、この撚りをほぐして戻すことで繊維と繊維の間に空間を作り、「わた」のようなふんわりと軽く柔らかな風合いを生み出しています。 そのため保湿力と吸水性、蒸散性にも優れています。肌への摩擦が少なく、コットンだけどまるでカシミヤのような肌触りになることが特徴です。

片山:驚くことに、この糸をずいぶん以前に完成させて使い続けてきたそうですね。片山社長の実家が三重産地の繊維工場ですが、創業からどのようなバトンを引き継ぎ、今の「HAAG」が誕生しましたか?

創業時の写真

片山:私の祖父はもともとタオル工場で仕事をしていました。ですが、戦争から戻った時、その工場ではすでに違う人が働いていたそうです。そこで、復興期の1952年に祖父は自ら三重で片山メリヤス工業所という丸編工場を立ち上げました。日本にいながらも その頃は様々な依頼を何でも引き受けて技術力を伸ばし、日本ニット工業組合連合会の理事長にもなって産地発展に力を注いだそうです。

その後、2代目の父が丸編工場を継ぎ、受託生産だけではなく、独自の素材開発にも力を入れていました。なんでも、江戸時代の文献に糸の作り方の参考になるアイデアがあったらしく、1973年に三重県工業研究所との共同研究でスマイルコットンの原型となる糸と生地を完成させました。 この糸から出来る生地を販売するために、肌に優しい製品作りに情熱を注いだようです。私は生まれた頃から工場の音の中で暮らし、モノづくりをする工程を見ながら育ちました。そんな昔の記憶が継続していかないと寂しいなあ、と思いながらも、最初は大阪の繊維商社に勤めていました。でも、やっぱり家業を考える機会や、このスマイルコットンに惹かれる気持ちもあり、三重に戻って父の会社で一緒に仕事して「HAAG」の立ち上げに至りました。

梶原:昔の三重産地は繊維工場で活気ありましたが、アジアから輸入が発展していく中で衰退が加速したと伺っています。時代のニーズを掴み適応していくことや、自ら販売していく体制に変換させていくことが課題の中で、片山メリヤス工業所も機械を手放し体制を変えながらも、スマイルコットンを作る撚糸技術を残し、素材や製品は協力工場と連携して現在もモノづくりを続けている。 これから益々、少子化問題や国内市場縮小の影響もあり、日本に工場が減っていく中で、他産地とも取り組みながらモノづくりのサプライチェーンを残していくことに早めに乗り出しています。片山家は代々、問題になることを事前に感じて自ら行動していますね。

スマイルコットンが長年多くの人に愛され続けている背景に、どのような作り手の意識がありますか?片山:お客様の声に耳を傾けることです。父が時代の流れを掴んで早くから通販会社と取り組み、製品卸を始めていました。顧客の意見を聞ける機会が当時から多かったのですが、ある時、家の机に置いてある手紙を見たことがあります。そこには父が作った柔らかなコットンのインナーを着たお客様からの感謝の言葉が書かれていました。今でもこの手紙を読んだ時の感動が脳裏に浮かびます。お客様からの喜びの声が、私たちがモノづくりを続ける励みとなりました。 それから、父は生地にスマイルコットンと名付け、2002年に片山メリヤスの関連会社であった製品販売会社の社名を株式会社スマイルコットンに変更し、品質とブランド価値を高めてきました。 赤ちゃんのよだれを拭いても肌が赤くならない、という点など評価されてリピート購入されるお客様も多いです。

梶原:顧客の声を大切にされているんですね。 片山:はい、それが私たちの原動力です。お客様からの手紙や感謝の言葉が、次の製品開発のモチベーションになります。

―コンフォートウエアブランドの誕生と成長―

梶原:近年の日本の工場は、製品まで作り販売していく体制も増加しています。でも、一方ですぐに販路が築けず、断念してしまうお話しも沢山聞きます。 デザインやブランディングだけではなく、お客様に認知されるように販促や営業も大事な要素です。 早い段階から製品を作るだけではなく積極的な営業にも力を入れてきましたね。

片山:私は大手繊維商社で製品OEMの営業に携わり、アパレルの皆さんと関わってきた経験があります。様々な視点の人と繋がってきたことが強みだと思います。当時のOEM展示会ではスマイルコットンを使った製品も展示しました。ただ、その頃の服は張り感がある素材が人気で、柔らかな素材で価格も高いスマイルコットンは販売が難しい時代でした。 でも、父の仕事でお客様からの喜びの手紙を見てきたから。リピートして欲しいという依頼も続いたし、自分も忘れられなくて。着心地とか手で覚えている感覚ってありますね。 このスマイルコットンにはまだまだ可能性があると思い、繊維商社を辞めて2010年にスマイルコットン社に入社しました。その後も生地の展示会に出たり、色んなコネクションの中で人と会い、相手の状況にどう合わせて話そうか、意見を聞こうか、話すことを大事にしてきました。

梶原:片山社長が本格的に動き始めてからHAAGの自社製品事業を立ち上げたときのことを教えてください。

片山:当時スマイルコットン社はインナーの生地販売や製品卸がメインでしたが、その他にもバリエーションを広げていきたいと思っていました。前職ではアウターもやっていたので、やっぱり自社で製品販売する体制にした方が思っていることが伝わりやすいだろうと思いました。自分たちでブランドを作って、製品在庫を持って売り、一長一短を知ることも大事だと思いました。でも、最初は生地を売るために製品を始めたような感じかな。今では製品販売の仕事がすごく増えましたけど。最初は1人でメンズ向けのアンダーウエアを作り、自分の同じ年代の人に届けるにはどうしたら良いか考えました。当時、知り合いを通して繋がった伊勢丹新宿店のバイヤーさんに見てもらって、POPUP販売し、そこで成果を出して、今でも常設で販売しています。

ブランド作りの一歩として、まずは自分で名前を考えました。お客様に喜んでもらいたい気持ちからHUGという言葉を思い浮かべました。でも、英語の3文字だとバランス悪いなって思って。Aに変換して、HAAGにしました。2年前にリブランディングした際、軽さとかユニセックスな服であることをこれからの軸にしたいと思い、HUG、Airy、Ageless、Genderlessという4つの言葉をコンセプトに、ロゴも新たにデザインしました。現在はアンダーウエアだけではなく、敏感肌や肌への刺激を軽減したい方に向けて、デイリーウェアを中心に販売しています。

梶原:HUGの言葉は、クラハグの意味と一緒なんです。CRAFTMANとHUGを合わせてCRAHUGという言葉を作りました。だからお客様やモノづくりの仲間を大事にしている片山社長の考えにとても共感します。「ハーグ」と発音が伸びる感じもいいですね。柔らかい商品のイメージとピッタリです。

―CRAHUGとの出会いと販路拡大―

梶原:CRAHUGチームとファクトリーブランドを探している時にHAAGに出会いました。お声を掛けさせて頂きましたが、CRAHUGと取り組んでみて変化がありましたか?

片山:今までどうしても男性向けの企画が多かったので、ちょうど 40代、50代の女性のお客様層を開拓したいと思っていました。それがONWARD CROSSETに集まる客層と一致していたので、お声を掛けて頂き有り難かったです。CRAHUGの担当者からは、HAAGを見たり購入してくださるお客様の傾向を教えて頂いたり、デジタルマーケティングのサポートを毎月連絡頂けるのも有り難いです。その反応を確認しながら、一緒にコラボ企画を作る動きもしていきたいです。

梶原:販路のお客様の反応を掴みながら企画を組み立てることも大事ですね。

片山:スマイルコットンも売れない時期もありましたが、20年ぐらい続けてきた中で、その都度顧客を築いてきました。HAAGも、すぐに結果が出なくても、出会う人達と向き合って話していくことで不思議と仕事になってきました。続けていく動機って大事ですね。やっぱり祖父がいて、父親がいて、繋がる絆がある。父がお客様からもらった手紙を見かけたときの気持ちにいつも立ち戻ります。

―HAAGのこれから―

片山:風合いだけの特徴ではなく、色や形も製品としては需要だと思っています。HAAG立ち上げ当初から関わってもらっている外部デザイナーと共に企画を組み立ています。 生地が柔らかいからこそ、ちょっと尖った前衛的なデザインに挑戦していて、 独特なシルエットやカラーにもこだわっています。今は女性向けの新しい企画も増やしているところです。

梶原:HAAGはシンプルだけど、とても形が綺麗で、切り替えデザインの特徴もあり個性的です。発色が良いビビッドカラーが目立ちますね。心地良さだけではなくモード感があるデザインの展開もこれから楽しみです。現在、インバウンド市場も活発です。海外への展開も問い合わせが増えるのではないでしょうか?

片山:海外販売はまだ自分で輸出まで対応していく術がないので難しいと思っていましたが、インバウンドを通じて声がかかる機会が増えているので、日本で販売しながらも海外のお客様向けに企画を考えていく機会がこれから増えるのではないかと思います。 CRAHUGのリアル販売のPOPUPにも参加する機会を通して、お客様との接点を増やせていければ嬉しいです。

梶原:人と人の繋がりを大事にしている片山社長の言葉で、心に残ったのは「お客様からの手紙の記憶」です。これから世界中の人たちに、スマイルコットンの魅力がHAAGから広がることを願い、CRAHUGを通じて共に歩んでいければと思います。

今回の対談では、片山社長に沢山語って頂きました。 ありがとうございました。

  • 株式会社スマイルコットン

    株式会社スマイルコットン

    明治時代から綿糸の紡績業が盛んであった三重県北部。1952年この地でメリヤスニット工場 片山メリヤス有限会社は創業しました。創業当初から様々な丸編生地を開発生産してきました。 当時は大量生産・大量消費の時代。海外からの価格競争力のある素材の輸入や高まる化繊の需要の中で、「smile cotton」の原型となる生地が1973年に完成しました。しかし、当時スマイルコットンを製品化にするには、技術面・コスト面が折り合わないこと、それ以上に「肌に優しいスマイルコットン」は必要とされませんでした。「綿でカシミヤのような肌触り、心地よさのある生地を作りたい」この想いで幾度となく技術改良を行い、商品化にこぎつけた時、20年の歳月が経っていました。1995年、株式会社スマイルコットンが誕生します。人は生まれた瞬間から衣をまとい、多くの素材に触れて、生きていきます。 触れた瞬間、まとった瞬間に、思わず頬ずりしたくなる、笑顔になる、そのような素材を作り続けることが、スマイルコットンの使命だと思います。

Text & Photo:
梶原加奈子

CRAHUGのクリエイティブディレクター。大好きなテキスタイルに関われる日々に感謝。北海道の自然がクリエーションの源。

Date: 2024.06.19

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